怒濤の3泊4日(2日目)

 9:50ごろ目が覚める。ジーンズをはいたまま床で寝ると、ベルト通しが腰を圧迫して、朝起きると下半身全体が痺れてまったく動けなくなってしまう。しばらくその場で痺れがとれるのを待つ。なんとか足が動くようになると、すぐにトイレに行き顔を洗う。そしてタイムカードを押し、自分の机に戻る。そしてさっそく企画書の作成作業を始める。
 10:30ごろ、日機連99の取材予定企業に電話をかけ、ロケハンの話を具体的に詰めていく。その後、昨日の林さんとの打ち合わせで撮影素材を集めることになっていた各社に電話をかける。各広報担当に電話をし、それぞれ正式に許可をもらう。1社だけまだ社内で審議中だったが、あとの2社は許可を出してくれた。続いて各社のPRビデオを制作したプロダクション各社に電話をかける。三菱グループ系の「リョーイン」は昨日の段階で素材があることを教えてくれたので、ここはとりあえずよいとして、残りの2社に電話をかける。まず、NEC九州のビデオを制作した東京クリエイティブに電話する。すると担当者が留守で、月曜日まで戻ってこないということだった。仕方がないのでもう1つ、HBC映画社に電話をかける。するとここも担当者が不在だったため、仕方なく月曜日にかけ直すことにする。
 午後からはひたすら幼児交通安全教育ビデオの企画書を書き続ける。途中、幾つもの雑務をこなしながらも、なんとか文章を組み立てていく。昨日の打ち合わせで指摘された点を中心に、内容を練り直していく。そして20:30ごろ、阿部さんに文章を読んでもらう。すると少しはよくなったというようなことは言われたのだが、相変わらず大量に直しを入れられた。とりあえず明日、佐藤さんが会社に来てくれることになったので、そこで再び見てもらい、日曜日に阿部さんと佐藤さん2人に見てもらうということになった。
 本当は今日、ちょこっと帰りたいと思っていたのだが、この調子じゃ帰れそうもないので、仕方なくまた夜通し作業することにする。7:00ごろまで企画書作成の作業を続け、とりあえず一旦中断して寝ることにする。今日は久しぶりに寝袋の登場。フロアの端っこの方の床に寝袋を敷いて眠りにつく。


1999年12月のトップページ
AD日記のトップページ

トップページ