ベリーニカフェ打ち合わせ

 10:00ごろ出勤。まずは昨日やりかけで帰った、日機連99構成案追加の文章の推敲をする。自分で作った文章を読み返し、表現がおかしいところを訂正。それを打ち直しプリントアウトする。作り直した文章を阿部さんに見せ、アドバイスをもらう。当然のことながら、数点書き直し、書き足しになったが、以前より少し書き直しの量が減っていたのでちょっとうれしかった。阿部さんから受けたアドバイスをもとに文章を書き直しているとき、テレビ本部の藤川さんが現れた。なんでもフリーのディレクターがメールで文章を送ってきてくれたのだが、うまくプリントアウトできないので、ビデオ映像部の方でプリントアウトしてもらえないかということだった。最初は日向さんに話を聞いているようだったが、知らない間に僕のところに話がまわってきた。その送られてきた文章のフォーマットはEGWORD7.0 for Macintoshだった。藤川さんはその文章を日向さんのメールアドレスに転送したとのことだったので、僕がそれを受け取り、ビデオ映像部のマックで開きプリントアウトする。プリントアウトしている間、藤川さんと雑談をしていた。これまでも仕事の関係の話はちょくちょくしたことあったのだが、こうやって普通に話をするのは始めてだった。話してみると意外とおもしろい人だったので、ちょっと嬉しくなった。
 今日は16:00からNR店長99の取材先であるベリーニカフェとの打ち合わせがある。そのため、昼食後はベリーニカフェの親会社である富士汽船の過去の記事を見て予習しておこうと思っていた。すると昼食から帰ってきてすぐ、テレビ本部の藤川さんから電話がかかってきた。「テレビ本部のMacintoshからプリントアウトができないのだが、ちょっと見てほしい」ということだった。テレビ本部の人といい、特別事業本部の人といい、どうも最近、うちの会社の人は僕のことを電気屋のサービスマンとして見ているような気がする。しかし、そうやって頼ってくれていること自体は嬉しいので、快く引き受け見にいく。
 6階に行き、問題のMacintoshの前に座る。一目見ただけで、この状態でこれまで問題がなかった方がおかしいと思う。デスクトップにはアイコンがところ狭しとちらばっているし、ハードディスクの中はどこに何があるのか全くわからないような状態だった。僕が見てみようと触っていると、かなりの頻度でフリーズするし、普通に操作しているにも関わらず、突然動作がものすごく遅くなることもあった。「こらあかんわ」と思いつつも、いろいろ努力してやってみる。よくよく見てみると、プリントアウトできない原因よりも、これまでプリントアウトできていたこと自体が不思議に思えてきた。そもそもプリンタドライバが入っていないのである。これまでどうやってプリントアウトしていたのか不思議だった。さらに不思議なことに、このMacintoshは社内LANにつながっているにも関わらず、AppleTalkの設定がEthernetになっていなかったのである。不思議なことだらけで、僕もどうやっていいかわからなかった。そうこうしている間に打ち合わせに行く時間が近づいてきたので、暫定措置として、元々つながっていたプリンタとは別の、社内LANにつながっているプリンタにプリントアウトできるように設定しておいて、そのことを知らせる紙をプリンタに貼りその場を離れる。
 5階に戻り急いで出発の準備をして会社を出る。今回打ち合わせに行くのはベリーニカフェ有楽町店。営団地下鉄日比谷線に乗り、日比谷で降りる。A2の出口を出たすぐの有楽町電気ビル、その地下1階にベリーニカフェはあった。実を言うと僕は今週火曜日に一度この見せに客として夕食を食べに来たのだ。そのときは取材することが決まっていたので、イタメシが好きな僕としてはとりあえず食べてみておこうと思い、打ち合わせの前にお忍びで食べに行ったのだった。味にしてもサービスにしても、確かにすばらしかった。これからも頻繁に来たくなるような見せだった。
 予定の時間は16:00。しかし到着したのが15:40だったので、ベリーニカフェのすぐ目の前にベンチがあったので、そこに座ってタバコをすって高橋さんを待つ。少しすると高橋さんが現れ、2人でタバコを吸った。このときにこれまでに決まった打ち合わせの日程、それから未定の部分を連絡する。タバコを吸い終わってもまだ10分ほど早かったが、ここで喫茶店などに行っていたら昨日の二の舞になる可能性があるので、少々早いが店に行くことにした。
 店の入口で挨拶すると、レジのところにいた男性が「どうぞ奥へ」と僕たちを案内してくれた。この男性が店長であるらしかった。奥の席に座り、名刺交換して一通り挨拶したところで高橋さんからビデオの内容説明が始まった。と、そのとき、富士汽船本社広報の方が現れた。この方は以前、日程に関して打ち合わせをしたときに話した方で、電話の声からは想像できない外見だった。本社広報の方は若い女性で、美しい方だった。しばらくその人に目を奪われていたが、すぐに打ち合わせに集中する。
 今日の話は昨日と違ってスムーズに進んでいった。店長の普段の仕事、現金管理、アルバイト・パートの選定基準など細かいことを次から次に聞いていく。そのようにして時間はどんどん過ぎていった。話も後半になってきたところで、話題はビデオ全体の話になった。本社広報の方が以前日経BP社の方にビデオの構成案のようなものを見せてもらったらしく、それについての話になった。上巻は5つのカテゴリーに分けられており、そのそれぞれで別々の店長を紹介していくわけだが、その組み合わせが適当でないというのである。よくよく話を聞いてみると、要は日経レストランという雑誌の上での話と、実際に映像として現場を見るのとでは全く違うというのである。例えばこの企業はこのカテゴリーに入っているが、業界の事情を知っている本社広報の方や店長から見ると、それはあまりにも不的確ということだった。そのあたりの話をしばらく聞き、話は終わりに近づいていった。今日の話を聞いて、これまでの企画案、カテゴリー分けの方法がいまいち的確でないというのがわかったので、もう一度構成を考え直してみることになった。そこで、ベリーニカフェには、後日もう一度打ち合わせをさせてもらえるようにお願いした。店長も本社広報の方も快く引き受けてくれた。
 お礼を言って店を出て、高橋さんと2人でちょっと立ち話した。とりあえず構成案を考え直すため、一度日経BP社の編集長と話をしようということになる。僕と高橋さんはそこで分かれ、僕は急いで会社に戻って事情を阿部さんに説明した。すると阿部さんも同じように、一度日経BP社の方と相談した方がいいだろうと言った。僕はすぐに日経BP社に電話して事情を説明した。するとやはり打ち合わせをしようということになり、急いで日程を決めた。それともう一つ、これは阿部さんからも日経BP社の方からも聞いたのだが、まだ打ち合わせの日程すら決まっていなかった1社が、取材できないことになってしまった。どうも会社としては引き受けてくれていたのだが、店長会議の方で拒否されてしまい、結局取材は無理ということになった。そこでかわりとして他の企業を日経BP社の方からあたってくれているということだった。
 NR店長99の作業が一通り終わったところで、再び日機連99の文章作成に戻る。昨日までは環境についての文章を書いていたが、引き続き「電力」関係と「巨大な機械」関係の文章を書かなくてはならなかったので、とりあえずネタを探すところから始めた。この作業に移ってからは時間の流れが速く、知らない間に時間は23:00になっていた。だんだん頭がボーっとしてきて、右脳にやわらかな頭痛がしはじめたので今日は帰ることにした。


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