1年がかりの作業がひとまず終了
 今年度の始めから、僕はある機械工業系のビデオの制作に携わってきた。それが今日のMAでいよいよ完成を迎える。といっても、その後まだ英語版を作らなくてはならないのだが、とりあえず今日で日本語版は完成する。ある意味今年度の一区切りを迎えるときである。
 9:20、浜町の東京テレビセンターに直行する。MAルームに入ってナレーション原稿や作品の資料をテーブルの上に広げる。しばらくミキサー助手の女性と話しながら作業を進める。こういうポスプロで働いてる女性は一見地味に見える人が多い。それは確かに服装がカジュアルで、動きが超機敏だからそう見えるのかもしれないが、よくよく見てみると美人な人が多い。今日のミキサー助手の女性は初めて会ったとき(今日で彼女と会うのは3回目ぐらいである)、かなり地味なイメージだったのだが、今日改めてよく見てみるとかなりかわいい感じの人だった。かといってその後どうなるわけでもなく、その場でそう思って終わるだけである。ある意味この世界は無情である。
 9:50ごろ、音効の安田さんが現れる。安田さんは仕込んできた6mmテープをデッキにセットし、タイムを書いた紙をオペレーターに手渡す。そして1kと10kでレベルを合わせ始める。
 10:00ちょうどにディレクターの林さんが部屋に入ってくる。それと同時に作業も開始する。いつものように音楽、SEなどを順次入れていく。この作業が12:00ごろには全て終わる。12:30ごろ、昼食の出前が着いたころ、ちょうどプロデューサーの内田さんが現れた。当然内田さんの昼食も注文してある。食事をしながら13:00から始まるナレーション収録について打ち合わせをしていく。原稿を見ながら最終的なコメントの詰めに入る。12:50になると、スポンサーが部屋に入ってくる。その後ほどなくしてナレーターの小幡研二が部屋に入ってくる。小幡研二と言ってもわかる人は少ないかもしれないが、ニュースステーションの収録Vのナレーションをしている人といえばわかる人は多いと思う。この人は見かけはおせじにもよいとは言い難いのだが、ひとたびナレーションブースに入って原稿を読み始めると、そのうまさにほれぼれとしてしまうぐらいのベテランナレーターである。
 まずはナレーション原稿について読み方などの打ち合わせをしていく。その後小幡研二にブースに入ってもらい、早速収録を始める。こういうベテランの方になるとナレーション収録も非常にスムーズで、15:00には全てが録り終わる。この時点でスポンサーは帰っていった。その後僕らは全体をミックスして、原板に音を戻していく。全ての作業が終わったのは17:00ちょうどだった。僕は大量のテープを持ってタクシーで会社に戻る。
 会社に帰ると、映像文化製作者連盟から電話というメモが残されていた。すぐに電話してみると、なんでも去年制作した「未来につなぐ名工の技」が科学技術映像祭で「科学技術庁長官賞」を受賞したということを伝えられた。このとき僕は一瞬自分の耳を疑って、つい「なんですか?」と聞き返してしまった。しかし受賞の話はまぎれもなく本当のことだった。すぐにプロデューサーの内田さんとディレクターの阿部さんに報告する。すると2人とも一気に顔がほころび、すごく嬉しそうな顔に変わっていった。当然僕もものすごく嬉しい。確かにあの作品は作ってる僕ら自身も楽しかった。完成したときは涙が出そうなくらいの感激を覚えたものだった。それに加え、このような結果を出すことができたのである。万感胸にせまる思いである。
 それはそうと、僕の留守中にもう一件電話があったようだった。これは先日直し作業を行った生命保険会社のビデオがスポンサーからOKをもらえたということだった。そこですぐにコピーを依頼するSony PCLに電話を入れ、原板を明日の便で取りに来てもらう手はずを整える。
 一通り留守中の電話の処理を済ませると、すぐに今日完成したばかりのビデオの完成台本を作り始める。今日、MAのときに変わったナレーションのコメントも全て反映させたものを作り上げる。後日このビデオは英語版を作成しなければならないため、明日、翻訳の業者に原稿とテロップリストを渡さなければならないのである。ナレーションのコメント、テロップの文字などを詳細に確認し、元原稿に修正を加えていく。それが終わると、今度はビデオの中で使用したCGをビデオプリンタでプリントアウトする。CGの文字も翻訳してもらわなければならないので、このようにして業者に渡さなければならないのである。
 23:30ごろ、完成台本作成の作業が一通り終了する。その後、今年になってから仮受けしていたロケ費の精算を始める。かなりの金額の精算がたまっていたため、早いとこやっとかないと経理からにらまれてしまう。必死で精算を済ませ、5:00ごろ、自分の机の前の床で寝る。