中学校時代は先輩との上下関係を覚える。入学してすぐ、科学部に入部。どんなことをやっていたかというと、自分たちで研究テーマを決め、それについて研究し、一年に一回行われる北九州市全体の発表会で発表。1年生の5月ごろ、科学部と仲の良かった放送部で、新入部員が足りないからということで、手伝いに行く。これが今後の人生を変えることになるとは、思いもしなかった。1学期の間はどちらも同じくらいやっていたのだが、その後だんだん放送部の方に力を入れてきて、1年生が終わるころには完全に放送部のみになってしまった。放送部では技術を専門にやっており、毎日朝と掃除時間、そして夕方の全校放送をこなしていた。全校集会のときは体育館で音響を担当し、マイクとかえしのスピーカーをセットしていた。
2年生になると生徒会の図書委員会に立候補。立候補者は2人。選挙の結果、僕の方がやや優勢で当選。うちの中学には当時としてはめずらしいCAI教室があり、富士通のFM−βというパソコンが30台ぐらい置いてあった。生徒会の仕事は主にこのパソコンを使ってやっていた。OSはMS−DOS。時々CP/Mとかいうのも使っていた。ワープロは「しのぶれど」と「テラ3世」、表計算に「マルチプラン」を使っていた。今考えると化石のようなものを使っていた。フロッピーは5インチ。このころからパソコンに興味を持ち出した。ちなみに成績だが、全くだめで、志望高校まで全然届かなかった。そのため、親から無理やり塾に通わされることになった。その塾が結構よくて、みるみる成績が上がっていった。
3年生になっても生徒会と放送部をやっていた。引退は夏休み明けぐらい。夏休みぐらいから本気で受験勉強を始めた。志望校は福岡県立八幡高校の理数科。当時は薬剤師になりたかった。ちょうどその高校の理数科は初めて設立されたもので、推薦入試があった。そのため、推薦を受けてみた。しかし見事にくだけちった。評定が足りなかったらしい。一般入試で同じところを受けたが、理数科は不合格。しかし普通科にはひっかかった。