
1997年4月26日(土)会社資料が届く
会社案内パンフレットと求人票が届く。募集職種はプロデューサーとディレクター。そして総務、経理の事務職。
1997年5月28日(水)書類郵送
提出書類
1 履歴書(写真貼付)
2 成績証明書
3 卒業(見込)証明書
4 健康診断書
以上4点。締切は5月29日(木)のため、速達で郵送。履歴書は市販のものでも学校のものでも何でもよい。僕は学校で売ってるA4サイズのものを使用。
1997年6月2日(月)筆記試験の案内が届く
集合場所、時間などを書いた要項と、会場までの地図が郵送されてきた。
1997年6月9日(月)筆記試験 日本経済新聞社8階大ホール
この日、前日から乗っていた夜行バスの到着が事故渋滞のため1時間遅れ、東京駅に到着したのは8:00。一気にスーツに着替えて、走って大手町の日本経済新聞社に行く。集合は8:30。ちょっと遅れて8:35に到着。大ホールの入口に受付があり、そこで名前を確認して受験番号を書いた紙を渡される。
ホールは以学館1号の3倍ほどの広さで、机に受験番号を書いたカードが置いてあり、自分の番号のところに座る。席についておちついてまわりを見まわすと、受験者は全部で150人くらいだった。
9:00ちょうどにステージの演台に人が立ち、試験についての説明をする。試験は一般常識、英語、作文の3種類。これにより一次選考を行い、合格者には11日までに連絡。次回の選考は12日に面接を行うとのことだった。
試験前に調査用紙が配布され、試験の結果を連絡するための住所と電話番号を記入する。また、志望職種を記入する欄もあり、募集職種のところに「カメラマン」とあったため、第一志望をカメラマンに、第二志望をディレクターにして提出。
9:10〜9:50 一般常識
10:00〜10:40 英語
10:50〜11:50 作文
問題は全てオリジナル。問題自体は比較的簡単。変なミスをせず、確実に解いていくことが要求される。
一般常識は問題用紙がA4用紙で3枚。直接書き込み式。漢字、語句の意味に加え、想像力を見る問題。漢字の問題は、ひらがなが書いてあり、その同音異義語をできるだけたくさん書かせるもの。語句の意味の問題は、「MPEG」「日本銀行」「ビッグバン」などの意味を書かせる。想像力を見る問題は、「光」と「涙」というタイトルが与えられ、それぞれ思い浮かぶドラマや映画のシーンを書けというもの。
英語はちょっとした長文が出された。僕は英語が苦手なのですごく憂鬱だったが、意外に簡単な問題だったので、解けないことはなかった。
作文はテーマ「音」で800字。
最後の作文が終わった人から帰ってよいとのことだったので、11:30ごろ会場を後にする。すぐに羽田に向かい、一番早い伊丹行きの飛行機に乗って帰る。
1997年6月10日(火)筆記試験通過の連絡
このとき翌日に広島テレビの最終面接を控えていたため、広島テレビに最寄りのホテルに宿泊していた。19:00ごろ、下宿の留守番電話をリモートで確認したところ、実家の母から「日経映像というところから試験を通過したという連絡があったよ」というメッセージが入っていた。母に電話して確認すると、「12日の10:40に来てください」と言われ、それに対し、「その日は名古屋テレビの面接があるって言ってましたけど......」と、とんでもないことを言ってしまい、相手から「それは息子さんが自分でどちらを受けるか決めて頂くことですので」ということを言われたらしい。急いで日経映像に電話したが総務の方はもう帰っており、明日また電話してくれと言われた。
1997年6月11日(水)日経映像に電話
昼すぎに電話すると、面接は12日の13:00にしましたと言われた。その時間は名古屋テレビの面接があるため都合が悪く、午前にしてくれと言った。すると、今から動かすのは非常に難しい。全部ずれてしまうということを言われた。しかし無理やり頼み込んで、なんとか午前にしてもらう。
1997年6月12日(木)一次面接 日経映像本社
9:40ごろ到着。受付で名前を告げると、入口わきの小部屋で待つように言われる。集合時間は10:40。かなり早く来すぎてしまった。この日は交通費が支給された。ただ、一人あたり一律3000円。東京近郊の人ならおつりが出るだろうが、京都からかけつけた僕にとってみれば食事代ぐらいにしかならない。しかしもらえるだけでもありがたい。交通費支給の用紙に書かれた名前を数えてみると、今回の面接の参加者は50人弱。
面接は午前と午後に分けられ、それぞれ職種別に行われた。僕はカメラマン、ディレクター志望者とともに面接。うちのグループは7人1組(うち女性2人)。カメラマン志望者は僕を含めて4人。ディレクター志望者は3人。面接官は5人。
質問は同じ質問を全員に聞いていくタイプ。
1 志望動機・自己PR。
2 なぜ日経映像なのか。プロダクションは他にもたくさんあるのに。
3 ディレクター志望の人はどういう番組を作りたいの。
ここで一旦中断してビデオを見せられる。ビデオの内容は、日経映像制作の「上野浅草隅田川」という番組で、浅草のハンコ職人の話。だいたい5分くらい。
4 ビデオを見ての感想。自分がディレクターとしての目。カメラマン志望者はカメラマンとしての目で。
5 カメラマン志望の人はどういう番組でどういう映像を撮りたいの?
6 今から10年後、日経映像はどうなってると思う?
7 忘れた。
質問は全部で7つだったと記憶しているが、ちょっと自信ない。
面接終了は11:40。7人同時といえど、60分の面接はきつかった。
1997年6月13日(金)一次面接の結果連絡
この日は外出していたため、16:30ごろ、留守番電話をリモートで聞く。すると一次面接通過の旨を告げるメッセージが入っており、折り返し電話をしてくれとのことだった。電話すると、6月17日(火)に最終面接を行うとのことだった。丁重に礼を言い、電話を切る。
1997年6月17日(火)最終面接 日経映像本社
集合は10:20。僕は早めに10:00到着。まずはこの前と同じように交通費を3000円もらう。その後すぐ、最終面接のための自己紹介書を35分間で記入させられる。B4サイズで、内容は志望動機、あなたの特徴、好きな本、最近関心のある話題、今あなたの考えに近い政党、その他。これだけの内容を35分間で書き上げるのは結構大変。政党のことを聞かれるのは初めてで、こういうところが本当にあるんだと思った。書き上げた用紙を担当の方に渡し、しばらく待つ。面接は一人一人行われる。待ち時間の間に担当の人がコピーして、面接官の手元に届けていた。
交通費支給の用紙に書かれた名前を見ると、最終面接まで残ったのは25人ぐらい。合格者には19日(木)までに連絡。次回は健康診断。
僕の面接は11:00ちょっとすぎから。面接部屋は前と同じ部屋。面接官はこの間も見たことあるような人が何人かいた。社長は真ん中の人だった。
1 どうやって日経映像を知ったの?
2 どういう番組を作りたいの?
3 君はカメラの経験があるみたいだけど、何をやってたの?
4 他の制作会社はどこ受けてるの?
5 勉強きらいだった?
6 コンピュータは使える?
7 制作は大変だけど大丈夫?
だいたいこういう質問内容だったが、これらは社長との激しいトークの中から出てきたもので、用意していた質問ではない。全体的に息をつく暇のないくらい激しい面接だった。時には、「放送局に行った方がいいんじゃないの?」とか、「君は営業の方が向いてるよ」と言われた。ひるんでしまってはダメだと思い、とりあえず聞かれたことにはすぐに答えるようにした。面接終了は11:18。時間的にはそんなに長くないが、かなり中味の濃い面接だった。
1997年6月19日(木)最終面接通過の連絡
この日は外出していたため、17:30ごろ、留守番電話をリモートで聞く。すると最終面接通過の旨を告げるメッセーが入っており、折り返し電話をしてくれとのことだった。電話すると、最終面接は通過だが条件があるということを言ってきた。何かとんでもない課題が出されるのかとドキドキして聞いた。すると、カメラマン志望とのことだが、カメラではなく、演出と取材を担当するビデオジャーナリストとしてでよければ通過ということだった。僕は迷うことなく了解。次回の健康診断の案内を聞く。この時点で、現在進行中のTBS-VISIONを除いて、全ての制作会社の受験をやめる。
1997年6月26日(木)健康診断 日経映像本社、日本経済新聞社
集合は13:45。僕は早めに13:25に到着。受付で名前を告げると、面接をやった部屋に通される。すでに一人来ており、その人と話をしながら待ってると、一緒に面接を受けた人たちが何人か来てお互い声をかけ合う。この日集まったのは12人。それに事情により事前に健康診断を済ませた女性1人を含めた13人が今年の内定者。うちわけは事務2人(女性)、現場11人(うち女性5人)。合計では女性の方が採用人数が多い。けっこうフェアな採用をしてるなと思った。この日はやっと交通費が全額支給。近郊の人は3000円のままだったが、僕は26040円。新幹線指定席で往復という計算だった。僕はスカイメイトの飛行機で往復だったので、10000円くらいういた。
全員そろったところで、健康診断についての説明を受ける。その時に誓約書を配られ、その場で書かされた。他にも受けるところが残ってるのでちょっと戸惑ったが、そのままサインと捺印をする。あとでみんなに聞いてみると、半分以上の人がまだまだ就職活動を続けるとのことだった。
誓約書を書き終わると移動。健康診断の会場は日本経済新聞社10階の病院。検査内容は色覚、血圧、検尿、レントゲン、問診、採血。終わったら帰っていいとのことだった。健康診断で落ちることがあるのか不安だったため、担当の方に聞いてみると、よほどのことがない限り落ちることはないとのことだった。
1997年7月2日(水)内定通知書が届く